父親として誇りに思うこと
はじめに
3年前、我が家の長女が就職しました。介護福祉士として、今日も誰かの生活を支える仕事をしています。
それだけ聞けば、ごく普通の話に聞こえるかもしれません。でも私たち夫婦にとって、娘のその姿は奇跡のように感じています。
娘は生まれたときから、スタージウェーバー症候群という病気を抱えていました。
幼稚園に通っていた頃、私は「この子が小学校の通常学級に通えるだろうか」と本気で心配していました。それが今や、短大を卒業し、介護福祉士の国家試験に合格し、社会人として自立した生活を送っています。
娘の歩みを、父親として記録しておきたいと思います。同じ病気を持つお子さんを育てている親御さんに、少しでも希望を届けられれば幸いです。
第1章:スタージウェーバー症候群とは
生まれた日の衝撃
娘が生まれたとき、右目の周辺に赤紫色の痣があることに気づきました。
産院の医師から告げられたのが「スタージウェーバー症候群」という病名でした。「先天的に右脳の後頭部が石灰化しています」という医師からの言葉。聞いたことのない病名に、妻と二人でただ茫然としたことを今でも覚えています。
スタージウェーバー症候群とはどんな病気か
スタージウェーバー症候群は、生まれつき顔面・脳・眼に血管腫(毛細血管の異常増殖)が生じる先天性の疾患です。発症頻度は約5万人に1人と言われており、非常に稀な病気です。
主な症状としては以下のものがあります。
- 顔面の痣(ポートワイン母斑):顔の片側に赤紫色の痣が生じる
- てんかん発作:脳の血管腫によって痙攣発作が起きることがある
- 知的障害:程度には個人差があるが、知的発達に影響が出る場合がある
- 緑内障:眼の血管腫によって眼圧が上がり、視力に影響が出ることがある
娘の場合、顔面の痣・痙攣発作・知的障害の3つが症状として現れました。
告知を受けた親として
「この子の将来はどうなるのだろう」
告知を受けた日から、私たち夫婦の頭からその不安が消えることはありませんでした。医師から説明を受けながらも、頭の中が真っ白になっていたことを覚えています。
しかし同時に、この子を精一杯育てようという気持ちも、自然と湧き上がってきました。
第2章:幼少期の苦労
3歳頃まで続いた痙攣発作
生後間もない頃から、娘は痙攣発作を繰り返しました。突然体が硬直し、意識を失う。そのたびに昼も夜も、ときには深夜に車を走らせ、病院に駆け込む日々が続きました。
小さな体が痙攣する姿を目の前にするたびに、親として何もできない無力感に襲われました。「次の発作が来たらどうしよう」という不安を抱えながら、毎日を過ごしていました。
幸い3歳頃を境に痙攣発作は落ち着いていきました。あの頃の緊張した日々が嘘のように思えるほど、今の娘は元気に働いています。

顔の痣を消すためのレーザー治療
スタージウェーバー症候群の特徴的な症状のひとつが、顔面のポートワイン母斑と呼ばれる赤紫色の痣です。娘の場合、右目の周辺に目立つ痣がありました。
痣そのものは身体的な問題ではありません。しかしこれから幼稚園・小学校と社会生活が始まっていく中で、見た目のことで娘が傷つく場面が来るかもしれない。そう思った私たちは、レーザー治療に踏み切りました。
レーザー治療は一度では終わりません。複数回にわたって治療を重ねていきました。幼い娘にとっては痛みを伴う治療です。それでも娘は泣きながらも治療を受け続けました。その小さな背中が、今でも目に焼き付いています。
「通常学級に通えるだろうか」という不安
スタージウェーバー症候群は知的発達に影響が出ることがあります。娘もその例外ではありませんでした。
知能検査(WISC)の結果は、同年齢の子どもたちと比べて低いものでした。医師や専門家との面談を重ねる中で、「この子が普通の小学校の通常学級に通えるだろうか」という不安が頭から離れませんでした。
幼稚園の先生方にも相談しながら、娘の成長を一歩一歩見守る日々。親としてできることをすべてやろうと、妻と二人で誓い合いました。
第3章:学校生活と知能の問題
通常学級へ進んだ娘
幼稚園の先生方や専門家との相談を重ねた結果、娘は地元の小学校の通常学級に進むことになりました。
入学式の朝、ランドセルを背負った娘の姿を見ながら、妻と二人で目を潤ませたことを覚えています。「ここまで来られた」という安堵と、「これからどうなるだろう」という不安が入り混じった、複雑な気持ちでした。
学習面での苦労
学校生活が始まると、学習面での遅れが少しずつ目立つようになりました。
WISCの検査結果が示す通り、娘の知的発達は同年齢の子どもたちと比べてゆっくりとしたペースでした。授業についていくことが難しい場面もあり、学校の先生方と連携しながら娘をサポートする日々が続きました。
宿題をみてやると、なかなか理解できずに娘が涙を流すこともありました。そんなとき、どう声をかけてやればいいのか、親としていつも悩んでいました。
それでも娘は学校を休まず通い続けました。友だちと笑い合いながら学校から帰ってくる娘の顔が、私たち夫婦の何よりの励みでした。
一番の心配は「将来の自立」だった
学校生活を送る娘を見ながら、私たち夫婦が常に心の奥に抱えていた心配があります。
「この子は将来、自立して生活していけるだろうか。」
親がいなくなった後も、娘が自分の力で生きていける力を身につけてほしい。それが私たち夫婦にとって、何よりも切実な願いでした。
障害のある子どもを持つ親であれば、きっと同じ思いを抱えたことがあるのではないでしょうか。答えの見えない不安を胸に抱えながら、それでも娘の可能性を信じて歩み続けることしかできませんでした。
第4章:転機-介護の仕事を目指すまで
祖父母に大切に育てられた娘
娘が成長していく中で、大きな影響を与えてくれたのが祖父母の存在でした。
私の両親は娘をとても可愛がってくれました。病気のことも含めてすべてを受け入れ、ありのままの娘を愛してくれました。娘にとって祖父母の家は、心から安らげる場所だったと思います。
祖父母に笑顔で甘える娘の姿を見るたびに、親として救われる思いがしました。
祖母の介護を見て育った
娘が成長するにつれ、今度は私たち夫婦が祖父母の介護と向き合う時期がやってきました。
祖母の体が弱り、介護が必要になっていく様子を、娘は身近で見ていました。私たちが祖母の世話をする姿、祖母が懸命に生きようとする姿。そういった日常のひとつひとつが、娘の心に静かに積み重なっていったのだと思います。
「介護の仕事がしたい」という言葉
ある日、娘がこう言いました。
「将来は介護の仕事がしたい。」
正直、最初は驚きました。しかし話を聞くうちに、その言葉がとても自然なものに感じられました。大切にしてくれた祖父母への感謝、介護をする親の背中を見て育った経験。それらがひとつになって、娘の中に芽生えた夢だったのです。
知的発達に遅れがある娘が、果たして介護の仕事に就けるのだろうか。親としての不安がなかったと言えば嘘になります。しかしそれ以上に、娘が自分の意志で夢を持ったことが、純粋に嬉しかった。
「やってみよう。できる限り応援しよう。」
妻と二人でそう決めました。
第5章:短大進学・国家試験合格
介護福祉学科への入学
娘の夢を応援すると決めた私たちは、介護福祉士の資格が取れる短大を一緒に探しました。
介護福祉士になるためには、養成施設(専門学校・短大など)を卒業するか、実務経験を積んだ上で国家試験に合格する必要があります。娘は介護福祉学科のある短大への進学を目指すことにしました。
受験勉強は決して楽ではありませんでした。学習面でのハンディを抱えながらも、娘は諦めずに勉強を続けました。そして見事、介護福祉学科への入学を果たしました。
合格の知らせを受けたとき、妻と二人で手を取り合って喜んだことを覚えています。幼稚園の頃、「通常学級に通えるだろうか」と心配していたあの子が、短大に合格したのです。
短大での2年間
短大での生活は、娘にとって大きな成長の場になりました。
介護の知識と技術を学びながら、実習にも取り組みました。実際に高齢者の方と向き合い、介護の現場を体験する中で、娘は少しずつ自信をつけていきました。
学習面では引き続きサポートが必要な部分もありましたが、娘なりのペースで着実に前に進んでいきました。祖父母への思いが原動力になっていたのかもしれません。
介護福祉士国家試験合格
短大卒業と同時に、介護福祉士の国家試験を受験しました。
試験当日、娘を送り出しながら、私は胸の中で静かに祈り続けていました。結果が出るまでの間、落ち着かない日々が続きました。
そして届いた合格の知らせ。
幼稚園に通っていた頃、小学校の通常学級に通えるかどうか心配していたあの子が、国家資格を手にしたのです。娘の頑張りに、夫婦ともに心の底から喜びました。言葉にならないくらい、嬉しかった。ただそれだけです。
第6章:就職・そして今
社会人としての第一歩
介護福祉士の資格を手に、娘は介護施設に就職しました。3年前のことです。
長年抱えてきた「将来、自立して生活していけるだろうか」という不安が、ようやく現実に向かって動き出した瞬間でした。就職が決まったとき、妻と二人で「よかった、本当によかった」と言い合いました。それ以上の言葉は必要ありませんでした。
卒業前に運転免許も取得した
就職に向けての準備は、資格取得だけではありませんでした。
短大の卒業を前にした春休み、娘は自動車教習所にも通い、運転免許を取得しました。学業と並行しながら教習所に通い、免許を手にしたのです。
正直、免許が取れるかどうか心配していました。しかし娘はここでも自分のペースで着実に前に進み、見事に合格しました。一つひとつのことを丁寧にこなしていく娘の姿に、改めて成長を感じました。
松本での一人暮らしスタート
就職先は松本市内の介護福祉施設でした。生まれ育った家を離れ、施設の近くにアパートを借りて一人暮らしを始めることになりました。
引っ越しの日、荷物を運びながら複雑な気持ちになりました。嬉しさと寂しさが入り混じった、親ならではの感情です。「ちゃんとやっていけるだろうか」という心配も、正直ありました。
しかし娘は新しい環境に飛び込んでいきました。慣れない土地での一人暮らし、初めての職場、初めての社会人生活。これだけの変化が一度に押し寄せてくる中で、娘なりに懸命に対応しようとしていました。
最初は苦労の連続だった
しかし社会人生活は、最初から順風満帆ではありませんでした。
採用時の条件として、娘の病気を考慮して夜勤は免除してもらっています。職場の理解に、親として心から感謝しています。
しかしそれでも、早番・遅番という不規則な勤務形態は体への負担が大きいものです。利用者の方の体を支えたり、緊急対応が求められる場面もあります。学校での実習とは違う、現場のリアルな重さがあります。
慣れない一人暮らしの中で、不規則な勤務にも慣れなければならない。そのプレッシャーは相当なものだったと思います。娘は最初、仕事に慣れるのに苦労しました。体調が不安定になることもあり、親として心配する日が続きました。「やっぱり無理だったのだろうか」という不安が、頭をよぎったこともありました。
ペースを掴んだ今
しかし娘は諦めませんでした。
少しずつ仕事を覚え、職場の人間関係にも慣れ、一人暮らしの生活も軌道に乗っていきました。体調も安定し、今では元気に働いています。
電話口から聞こえてくる娘の声が、以前より明るくなったと感じるのは親の欲目でしょうか。就職・一人暮らし・新しい職場環境という大きな変化のすべてを、娘は自分のペースでひとつひとつ乗り越えてきたのです。
あの小さな体で痙攣発作を繰り返していた赤ちゃんが、今や一人の社会人として誰かの生活を支えている。その事実が、今でも不思議なくらい誇らしく感じられます。
父親として、今感じること
娘を育てた年月を振り返ると、不安と心配の連続でした。
病気の告知・痙攣発作・レーザー治療・学習面での苦労・将来への不安。そのひとつひとつを、妻と二人で乗り越えてきました。
しかし今はただ、娘を誇りに思っています。
病気と向き合いながら、諦めずに夢を追いかけ、国家資格を取り、運転免許も取得し、慣れない土地で一人暮らしを始め、社会に出て働いている。その姿は、父親である私にとって何よりの宝です。
娘が教えてくれたことがあります。それは「人はどんな状況でも、自分のペースで前に進むことができる」ということです。節約や家計の話とは少し違いますが、このブログを読んでくださっている方にも、そのことを伝えたくてこの記事を書きました。
まとめ|娘が教えてくれたこと
最後まで読んでいただきありがとうございます。
スタージウェーバー症候群という病気を抱えて生まれた娘が、介護福祉士として今日も誰かの生活を支えています。その事実を、父親として誇りに思いながらこの記事を書きました。
娘の歩みを振り返って
| 出来事 | 内容 |
| 誕生 | スタージウェーバー症候群と診断 |
| 幼少期 | 痙攣発作・レーザー治療・入院 |
| 小学校 | 通常学級へ進学 |
| 学校生活 | 学習面での苦労・先生方のサポート |
| 進路決定 | 祖父母・介護経験から介護福祉士を目指す |
| 短大 | 介護福祉学科に入学・卒業 |
| 卒業前 | 運転免許取得 |
| 就職 | 介護福祉士国家試験合格・松本市内の施設に就職 |
| 現在 | 一人暮らしをしながら元気に働いている |
同じ境遇の親御さんへ
もしこの記事を、障害や病気を抱えるお子さんを育てている親御さんが読んでくださっているなら、こんなケースもあるということを知っていただければと思います。
娘の歩みは決して順風満帆ではありませんでした。不安と心配の連続でした。しかし娘は自分のペースで、一歩一歩前に進んできました。
完璧でなくていい。周りと同じペースでなくていい。自分らしいペースで進んでいけば、きっと道は開ける。娘がそのことを、身をもって教えてくれました。
節約ブログらしく最後に一言
娘の一人暮らしをきっかけに、携帯料金の見直しもしました。日本通信から楽天モバイルへの乗り換えで、固定回線なしで生活できています。子どもの自立は、家計の見直しのタイミングでもありました。
娘の自立と家計の見直し、両方が前に進んだ3年前を、今でも鮮明に覚えています。
最後に
長い記事を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
節約やお金の話だけでなく、こうした家族のことも時折書いていきたいと思っています。どうぞこれからも「節約とうちゃんブログ」をよろしくお願いします。


コメント